雪の中で、喧騒を離れる
あけましておめでとうございます。
冬は白馬を拠点に生活をしている私は、いま、長野県の小谷村にいます。
窓の外は一面の雪景色。青と白の世界です。
SNSを開けば、「新年の抱負」や「今年こそ達成したい目標」という言葉が溢れています。
「今年はこんな自分になる」「年商〇〇を目指す」「〇〇の資格を取る」。
それらの言葉は、エネルギーに満ちているのと同時に、どこか焦燥感を含んでいるようにも見えます。
「今のままの自分ではいけない」
「もっと何者かにならなければならない」
そんな無意識の「外圧」を、この雪景色の中でぼんやりと眺めていました。
なので、今年最初のnoteには、少し逆説的な決意を書こうと思います。
それは、「今年、何者にもならない」という決断です。
「成長の物語」という副作用
私たちは、常に「成長」を求められます。
ビジネスの世界でも、NLP(神経言語プログラミング)の現場でも、「現状(Present State)」と「望ましい状態(Desired State)」のギャップを埋めることが基本的なモデルです。
もちろん、目標は大切です。
達成も素晴らしい。
しかし、「何者かになること(Becoming)」への執着が強すぎると、私たちはある副作用に苦しむことになります。
それは、「今の自分は欠けている」という自己否定の強化です。
「何者か」というラベル(肩書き、実績、評価)を外側から貼り付けて武装しなければ、自分には価値がないという物語。
その物語の中にいる限り、どれだけ達成しても、渇きは癒えません。次の「何者か」を探して走り続けることになるからです。
「何者にもならない」という実験
だから今年、私はその物語を一度降ります。
「何者にもならない」というのは、投げやりになることでも、成長を放棄することでもありません。
自分自身に貼り付けてきた「経営者としての私」「トレーナーとしての私」「期待に応える私」といったラベルや役割を、一度剥がしてみるという試みです。
仏教の言葉で言えば「空(くう)」に近い概念なのだと思いますが、私自身はそれを、「固定された自分像を一度手放し、ただの空白としてそこに居る感覚」として体験しています。
必死に作り上げようとしている「何者か」という像も、実は私が勝手に背負い込んだ幻想に過ぎないのかもしれません。
一度、その幻想を横に置いてみる。
それは、今の私にとって少し勇気のいる実験です。
DoingよりBeingへ
NLPの概念を使えば、これは意識の焦点を変えることに似ています。
これまでは、「もっと行動しなければ(Behavior)」「もっとスキルをつけなければ(Capability)」と、外側の変化(Doing)ばかりを追いかけていた気がします。
でも、今年私が大切にしたいのは、より深い場所にある「Being(在り方)」の領域です。
「何をするか」「何を得るか」よりも、「どう在るか」。
外側の基準や市場のニーズに合わせて自分を矯正するのではなく、自分の内側にある静けさや感覚に軸足を戻すこと。
何者かになろうとする緊張を解いたとき、そこに現れる「素の状態」こそが、今の私に必要なのだと感じています。
変化のパラドックス
ここに、面白い逆説(パラドックス)があります。
「変わろうとするのをやめた時、初めて人は変われる」
これはゲシュタルト療法の「変化の逆説的理論」としても知られる真理ですが、NLPの現場でもよく目にする現象です。
「~でなければならない」という力みが抜けたとき、その人が本来持っているリソース(資源)が自然と流れ出します。
無理やり形を変える「矯正」ではなく、内側から自然に起こる「開花」のような変化。
何者にもならないと決めたからといって、何もしないわけではありません。
むしろ、余計なノイズが消えた分、本当に必要な行動はより明確に見えてくる気がしています。
揺らぎながら進む
と、ここまで書いてきましたが、これが「正解」だという確信があるわけではありません。
きっと今年も、SNSで誰かの華々しい活躍を見て焦る日があるでしょう。
「やっぱり何者かにならなきゃ」と、慌てて新しい肩書きを探したくなる瞬間も来るはずです。
私はまだ、悟りを開いたわけでもなんでもないのですから。
それでも、今は「何者にもならない」という選択をしてみたい。
今年、私は大きな声で目標を叫ぶ代わりに、
自分の内側の微細な変化に耳を澄ませていようと思います。
そんな実験的な一年を、ここから始めてみようと思います。
「何者か」にならなくても、私たちは十分に、変わり続けていけるのですから。
皆様にとっても、今年が静かで、かつ確かな変化の年になりますように。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
著者: Effica株式会社 代表取締役
全米NLP協会認定トレーナー
柳下早紀

